Menu

お得なアプリでクーポンGet!

店舗案内

へらへら

 

小学校の同級生に鳥居くんという男がいた。

いつもへらへらしていて、

小学校六年間の印象では、

頭の構造は中の中、

きっとおれの方ができるという不等号は

いつもわたしの方に優位に向いていたとおもう。

 かれとは中学までいっしょだったのだが、

もうそれきり連絡も消息もわからずじまいだった。

それにトリイという名前すらすっかりわたしの

記憶のなかには存在していなかった。

が、このあいだの三十年ぶりの同窓会、

わたし以外は全部女性という両手に花どころか、

両手ではたりないくらいの花(といっても花にはいろいろあるから)に

囲まれてじつにいいおもいをした会があったとき、

大藤さんという帰国子女の美人、

中学二年で英検二級を取得していた才女が、きゅうに語ったのだ。

「鳥居くんって、湘南高校の先生しているのよ、わたしの後輩だけどね」

 大藤恭子、田園調布双葉から家族の転勤に

あわせて外国の高校に移り、

帰国後の上智大学に帰国者推薦枠で

入学したはずだ。ということは、田園調布双葉に

鳥居がいるはずないし、

外国の高校でいっしょなんてありえない。

鳥居の家は東洋製罐という

缶詰会社のサラリーマンだから、海外出張はない。と、いうことは、

「え、鳥居って上智大学?」

「そうよ。一浪しているから」

あ、そうなんだ。しらないうちに彼は

どこでそんな実力をつけたのだろう、

「なんの先生、やっぱり英語?」

「そうよ、英文科の後輩ですもの」

 鳥居か、ずいぶん懐かしい名前だ。

彼と最後にあったのは、高校時代、

町の皮膚科で偶然会ったのだ。

おたがい、夏の暑いなか、待合室でばったりあったから、

おたがいがおたがいの病がなんであるか、

まず間違いなく察知できていたのである。

「え、おまえも」とか言いながら、

へらへらおたがいを指でさしながら

笑いあったものだ。

で、そのとき鳥居とは、へらへら笑ってわかれたのだが、

へらへら笑ったきり三十年、そうか、

彼も偉くなって、いまでは県立高校の英語の教員なのか、

三十年間の時間が遡上してゆくような感覚をわたしは覚えた。

 鳥居のはなしになったら、

まわりの花たちも鳥居くんに会いたい、

という勢いになってきた。

なら、わたしが探してみますよ、

ということで、その会での鳥居のはなしは終了したのだ。

 だから、翌日、わたしはさっそく湘南高校に電話した。

「もしもし、わたしは○○高校のものですが、

恐れ入りますが、そちらに英語科の鳥居先生いらっしゃいますか」

 と、事務の女性はしばらくして、

「あのー、鳥居というものはここ

四五年では在籍しておりませんが、

鳥居の下の名前はなんと申しましょうか」

 わたしは、はっとした。鳥居の下の名前がわからない。

「いや、ちょっと失念いたしておりまして」

「そうですか、それですとお調べできかねますが」

と、事務員はていねいに応対してくれた。

わたしは、そこまではけっこうですと丁重にお断りして電話を切った。

 そうだ、鳥居なんというんだったけな、

名前までは思い出せないのである。

わたしはすぐ大藤恭子にメールを打った。

彼女の返事を待っている間、わたしは、

うちの事務所においてある神奈川県教職員名簿という

ハローワークくらいの厚さの冊子からとにかく

鳥居という名前を探してみた。

相模原市、横浜市、鎌倉市、逗子市、横須賀市、

とにかく鳥居、鳥居、とみてゆくと

神奈川には鳥居先生は三人いらっしゃることがわかった。 

 さて、彼女からの返事は二、三日遅れて

わたしのところに届いた。

世の中のメールのやりとりというのはなんで

こんなにルーズなんだろう、

わたしなど、もらったらすぐ返すのだが、

やはり筆無精というものはパソコン世界でも引きずられているのだろう。

 大藤さんからの回答で、鳥居は鳥居秀敏で

あることが判明した。三人いる鳥居で

秀敏は県立横須賀高校にいた。さっそくわたしは横須賀高校に電話した。

 事務員から取り次いでもらって懐かしい

鳥居の声がした。いや、おそらく鳥居だろう声がした、

といった方が的確だ。

「鳥居先生ですか」

「はいそうですが」

 ぶっきらぼうな、あるいは事務的な応対だ。

「突然で失礼ですが、わたし○○高校の者ですが、

鳥居先生ひょっとすると出身中学は大森六中ではないでしょうか」

「そうですが」

 ビンゴ。やっぱり彼だ。

「小学校は清水窪小学校ですか?」

「ええ」

「ああ。やっぱり。お久しぶり。ふたかたです」

わたしははじめて名前を明かした。

「え、フタカタくん。え、どうして。ああ、久しぶりです」

 電話口から心地よい動揺が伝わってきた。

「どうして、どうしてわかったの、ここ」

「調べたんですよ。大藤さんが神奈川の教員

やっているって言って、あ、会ったんですよ大藤さんと、

後輩だとか言っていたよ」

「後輩? そう言っていましたか」

なんか鳥居は府に落ちないといった口振りだったが、

ともかく、われわれは短い時間だったが久闊を除したのだった。

「最後に会ったのは、たしか皮膚科だったよね」

「え。どこの? そうだったけ」

「そうですよ。高校一年の時」

「いやー、覚えてないなあ。は、は、はぁ」

と、言いながら、

鳥居は昔とおんなじ口調で答えてくれた。

もちろんへらへらして。