Menu

お得なアプリでクーポンGet!

店舗案内

ブルースリー

今は昔の話である。

 このところ、息子がよく読書をしている。

まがりなりにも大学一年生だから

当然といえばそれまでなのだが、

むつかしい字が出てくると、

わたしや家内に聞きに来るのだ。

それがどう見ても、むつかしい字ではないから

頭をかかえてしまう。読めない字が気になって、

その字を読もうとする意欲はすばらしいが

、読めない字が多すぎるのもどうかとおもう。

夏休みの宿題の漢字書取りをしている、

ことしから中学生になった次女は、

家内と向き合ってせっせと書取帳を作成していた。

共同作業っていうやつだ。その作業を横目で見ていた息子が、

「ナナコ、こんなむつかしい字勉強してんの」

といささか吃驚した口調で言うものだから、家内から

「それはね、あんたにはむつかしいかもしれないけれどね、

中学生ではあたりまえよ。

あんたがその頃に勉強していなかっただけじゃないのぉ」

と、さんざん叱られていた。

こういうのをやぶ蛇という。いいとばっちりだ。

 このあいだ、息子と車で外出をしているとき、彼が言った。

「映画でいちばんおもしろかったのは、

ブルース・リーのなんだったかな、カタカナの映画だよ」

 唐突な息子の、なんともあいまいな会話に、

さいきん痴呆のDNAが作動しはじめているわたしは、

ついつい声をあらげて言ってしまった。

「ばかだな。ブルース・リーってのは

二十年前くらいに死んでるぞ。

さいきんの映画なんてあるわけねぇだろ。

『燃えよドラゴン』かなんかかな」

「え、そうだっけ。たしか、1とか2とかあったとおもうけど」

 

「あ、わかった。おまえの言いたいのは、えーと、

『酔拳』のひとだろ、あれ、だれだっけな。

へんだな、思い出せないぞ、ここまで出てるんだけど、呆けたなあ」

 英語では、こういう状態を、

リング・ザ・ベルというらしいのだが、

とにかく言うべきことが口まで到達しないことが多くなったのだ。

これで脳の血管がかんぺきにつまりでもすれば、

もっともどかしい状態がくるとおもうとすえおそろしい。

それでも、奇蹟は起こったのだ。

車が家にたどり着いた刹那、

『酔拳』の俳優の名を思い出したのだ。わたしもまだ捨てたものではない。

「わかった。思い出した。ブルース・リーだ」

 

 息子は、わたしよりひどく善人で、

あるいはとても間が抜けているかもしれないのだが、

ともかく平和主義者であることはまちがいなく、

わたしが三十分くらいかけて思い出したブルース・リーは、

じつはさいしょから息子の言っていた人物なのだから、

「だから、さいしょっからブルース・リーって言っているだろ、

ばか」と言うのが自然というものだ。

が、そのとき、息子はこう言ったのだ。

「あ、そうか」