不思議な教室があるものだ。
本校三階の三〇四号教室は、
構造上出窓のようなスペースがある。
出窓といってもフロア全体が出窓のように
一メートルくらい突き出ていて、
おまけに突き出ているエリア全体に
ベンチまでが設置されている。
そして、これも構造上の問題らしいが、
出窓エリアと教室エリアのほぼ中央に
エンタシスのような柱が立っている。
おとな二人が抱えてやっと手が届くかどうかの太さだ。
この構造が不思議なわけではない。
わたしがひどく吃驚したのは、
ここの出窓エリアから見える外の景色なのだ。
つまり、他の教室とちがってここのエリアが突き出ている分、
突き出た一メートルくらいの左右にも窓ガラスがあって、
そこから、なんととなりの教室がのぞけるのである。
三階のとなりの教室を外からのぞけるという
希有な現象はわたしの興味をひいた。のぞき見だ。
のぞき見というのはいかなる種類のものでも
こそばゆい快感がつきまとう。この感覚がストーカーや
痴漢行為に直結するのである。
つまりわたしは犯罪行為の初期段階を味わっている、
という話をするつもりはない。
あくまでも、まか不思議な教室の話題なのである。
じつは、このあいだの期末試験の二日目、
わたしは、この三〇四号教室に試験監督に
行ってこの新しい事実にはじめて気づいたのだった。
試験監督はすこぶる退屈な仕事で、
四五分間の拷問、だから、こらえきれずに教室をうろうろとするのだ。
偽善者のような笑みをうかべ生徒の答案用紙の
氏名欄を確認するかのように。
こういう行為を、テクニカルタームで机間巡視という。
机間巡視しながら、わたしは何気なく外の景色を眺めた。
と、となりの教室がのぞけるではないか。
教卓が見える。試験監督の先生の姿は見えない。
たぶん、わたしとおんなじように、
退屈しのぎで巡視でもしてるんだろう。
試験中の生徒のしろいワイシャツの背が黙々となにかを書いている。
ん、わたしは理解に苦しんだ。
となりの教室は黒板の向きが反対に付いているのだ。
三〇四号教室は、西向きに黒板が配置されているのに、
となりの、おそらく三〇三号教室は、
東向きになっている。なぜだ。
三〇四号教室と三〇三号教室がなぜ反対に作られたのか、
いままで、だれからもそんな秘密を聞いたことがなかったから、
わたしはその、なぜ、の解決を試みた。
証明のためにはいくつかの物的証拠が必要だ。
わたしは三〇五号教室がどうなっているのか、
こんどは教室の前方にすすみ、
出窓エリアから三〇五号教室をのぞいてみた。
すると、どうだ。生徒がずらりこちらむきに座っているではないか。
え、ということは、三〇五号教室は東向きに
黒板が設置されていることになる。
わたしの頭はひどく混乱した。
すべての状況を統括してみると、
三〇四号教室だけが、黒板が東向きになっていて、
他の教室はすべて西向き、
つまり三〇四号教室と反対向きに作られているのである。
なぜ。
この大きな柱のせいか。日当たりの関係か。
答えはすべて、ノー、である。
この構造上の不可思議さを積極的に
説明する理屈をすっかり見失ったわたしはいささか
途方にくれたのだった。
で、しかたなく、混乱した頭でもういちど三〇三号教室をのぞきに行った。
三〇三号教室にはいまだ教卓にだれもいない。
どこに行っているのだろう。
と、三〇三号教室の中央の柱の生徒が
横をちらちら見ているではないか。
なんだよ、となりの試験監督はカンニングを
見逃しているのか、指導力がないね。だれだろうかね、となりは。
ん、待てよ。なぜ、となりの教室にエンタシスのような
柱があるんだろう。
あの柱は三〇四号教室しか存在しないはずだぞ。
それに、あの柱の生徒の後ろ姿はどこかで見たような気もする。
なにかいやな予感みたいなものがわたしのなかで起こり、
わたしは、回れ右をして黒板のほうを振り返ってみたのだ。
と、そこに三〇三号教室にいた生徒と
そっくりの生徒の背中があるのである。
わたしは、この現象を整理するのに
しばらくの時間を要した。
つまりこういうことだ。
三〇四号教室の出窓部分のガラスは
遮光性がすぐれていて、
となりの教室がのぞけていたのではなく、
ただ単にじぶんの教室が鏡のように
映りこんでいたのだったのである。
教卓に試験監督がいないのは、
それはじぶんがここから外を
(ほんとはじぶんの教室を)のぞいていただけなので、
教卓にだれもいないのはむしろ当然なのであった。
え、じゃカンニングしてたのはだれだ。