感情の劣化、道徳の劣化がさけばれている昨今、
電車のなかでマックをたべているとか、
お年寄り専用の席で携帯電話をかけているとか、
昼日向に高校生が強盗にはいるとか、
不法投棄するとか、目に余る行為をよく目にします。
こういう状態を「アノミー」と呼んだのは、
デュルケームというひとです。
「モラルハザード」ともいいますね。
モラルハザードはもとも不動産用語でした。
アノミーな状態、これは従属矛盾です。
従属矛盾には主要矛盾があります。
ですから、アノミー状態を改善するには、
その主要矛盾を撤廃しないといけません。
これを「矛盾論」といい、毛沢東の考量です。
たしかに評判のわるい毛沢東ですが、
いいこともたまに言うのです。
アノミーが従属矛盾なら、主要矛盾はなんなのか、
という問いに石原慎太郎は「日本国憲法」だと語りました。
日本国憲法は、権利と義務のバランスがわるいと元都知事、
『太陽の季節』の作者はかたります。
権利ばかりがおおくて、義務がすくないそうです。
ようするに、ドアをあけるのが権利なら、
おんなじだけしめなければならないのに、
はんぶんくらいしかしめなければ、
とうぜんすきま風がふきさらします。
義務がすくないからです。
これは、日本国憲法がアメリカの手によって
なされたことが前段にあるものだからかもしれません。
第二次世界大戦の終結で、
降伏したドイツにたいして、
ニューヨークタイムスは
「この国は、すばらしい国である」と
敗戦国を称揚していますが、
こと日本の敗戦のあとのタイムスでは、
くじらの化け物のようなものがひっくりかえっていて、
そこに軍人がジープで口のなかに乗り込んで
「この化け物はまだ生きている。
徹底的につぶさねばならない」
とイラスト入りで書かれているそうです。
そんなアメリカが手を入れた憲法です、
徹底的につぶすのには、
バランスのわるい憲法を作成するにかぎります。
七十何年かかって、
アメリカのもくろみが開花したとしたら
狡猾老獪なことだとおもいます。