さて、そのせいなのか、
ちまたでは悲惨な事件があいついでいます。
死刑になりたいからひとを殺した、
という事件はあとをたちません。
ようするに死刑制度がなかったら、
犯人は罪を犯していないということです。
死刑という極刑は、犯罪の抑止・
防止のもっとも過剰な罰です。
が、そのもっとも重い罰が罪を誘発したという
パラドクシャルな現実は、
どこかで法治国家としてのシステムの破損、
亀裂があったということなのではないでしょうか。
死刑制度を廃止した国は、
百四十四か国、存置している国は五十五か国です。
そのうち、しっかり死刑をしている国は、
たしか三十五か国くらいではなかったかと。
しかし、死刑を施行している三十五か国の人口は、
世界の半数ですから、まだ、死刑制度は
おおむね存在しているといっていいでしょう。
では、なぜ、わが国は、その制度を残しているのか、
その理由は、死刑にかわる制度がない、
ということです。つまり、オルタナティブツールが
ないということです。欧州のようにキリスト教圏の国では、
宗教という尊崇なモノが存在していますが、
日本ほど宗教的コミュニケーションの
分厚さのない国はありません。
神が見ているから、身を改めなさい、
といっても、は? とかでおわってしまうのです。