Menu

お得なアプリでクーポンGet!

店舗案内

刑罰など その3

 

もともと、「宗教」という語彙も、

「信仰」という語彙も明治時代からつかわれたので、

それまでは、宗教も信仰も概念的に

存在していませんでしたから、

その発想すらもなかったのでしょう。

たしかに、古代仏教や神道など、

あるいは天台密教や鎌倉新仏教など、

我が国は宗教といえるようなものは存在していましたが、

人びとには宗教という認識はなかったようです。

(キリスト教が日本で認められてから、

仏典かなにかにあった、

使ってもいなかったところから探しあてて

「宗教」という語彙を選択したのです) 

では、宗教ではなくてどういう概念だったのかというと、

内山節という哲学者は「祈り」のようなものだと語っています。

「祈り」は家庭にも必要で、

祈りのない家庭は機能だけにおわり、

病気になったお父さんを「役立たず」とかののしったりします。

「お父さん、元気でいてくださいね」これが祈りです。

 

 さて、刑罰の話にもどしますが、刑罰の意義はおおきく三つあります。

その一つが、「抑止効果」です。

ただし、国連の犯罪統計をみても、

この抑止効果はあまり有意味でなく、

軽犯罪と性犯罪にのみ有効らしいのです。

つぎが、感情回復。カタルシスですね。

被害をうけた当事者、あるいはその関係者が、

ま、それならいいか、という意味合いをこめて

量刑がきまったりします。

ただし、これにも問題があって、

被害者のあまりにひどい憤りで感情回復がむつかしいばあい、

それが判決にも影響されかねないという事情です。

では、身寄りのないお年寄りが被害者のばあいはどうなるのか、やはり問題ですね。

そして、三番目が「国家的意志の貫徹」で、

これがもっとも重要です。この国では、

これするとこうなりますよ、

ということを国家レベルで宣告するわけです。

おとなり中国では麻薬の取引だけで死刑です。

 ところで、刑罰の意義にそって、

適正な手続きによる法的措置を

「デュー・プロセス・オブ・ロー」といいます。

国家が個人にたいし法律にのっとってただしい

手続きを保障する原則のことです。