さて、国民という概念ですが、
じつは歴史はそうふかくありません。
いまでは自然言語のようにつかっていますが、
憲法の元祖はマグナカルタの十三世紀、
主権国家の成立はウェストファリア条約の十七世紀です。
国民国家はナポレオン戦争からですから、
十九世紀のまんなかくらいです。
国民共同体としての兵士が命をかけて
戦ったところに生まれた概念が国民です。
これがおおきな副産物でした。
だから、「国民がつくる憲法」の
歴史もあさいわけです。
いわゆる安全装置の憲法が近代国家で
やっとこさうまれたということです。
もちろん国民の意志としての近代憲法も存在します。
健康で文化的なレベルを保証しているのも憲法前文でした。
ところで、憲法意志とはなにか、
ローレンス・レッシグというひとが
『コード』という本で著したことですが、
合衆国はファンディング・ファーザーが建国したわけですが、
かれらがゲーム版をつくった張本人たちです。
憲法意志とは、現代の人間がああだ、
こうだとかんがえるのではなく、
憲法をつくったファンディング・ファーザーが
なにを意志したかをかんがえることだと説きました。
これを原因主義といいます。
ファンディング・ファーザーが
いま生きていたらどう解釈するか、
それが大事だと説きます。