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刑罰 その6

 

しかし、合衆国憲法の原因主義、

つまり、条文をつくった人びとの意志を尊重すると、

じつは二百年前なので、そのときの「自由」といっても、

そのときは黒人奴隷のいたときで、

いまの「自由」とは意味合いが違う、

という危険性もあることを付記しておきます。

それに、憲法をつくったひとはひとりではなく、

多数のひとの合意でつくられたわけですから、

ファンディング・ファーザーをいま呼び出しても、

意見が合致するとは限らないということも

かんがえなくてはなりません。

ま、日本国憲法はまだわかいので、

原因主義的論点でもじゅうぶんかんがえなおす機会、

改訂はあるはずです。それがいいかどうかは別問題です。

 

 で、ここが肝心なのですが、けっきょく、

憲法には、権力者を他者として向かわせるという

側面があります。憲法を他者として認識しないとき、

ものすごくおそろしい歴史が始まる可能性があります。

憲法とはだれにとっても他者であるというおおきな

価値がそこに存在しているわけです。

 憲法のことをいやがっているひとは、

他者として向かいたくないという性情がうごいているわけで、

じぶんの都合のいいように、見たいものしか見ない、

やりたいことしかやらない、

という認知的斉合性がはたらいているのです。

 

 新城カズマという作家は、

スターウォーズの最新作で、

もっともよかったのは「悪」の描き方だといいます。

「悪」がひどく空虚に描かれていたというのです。

空虚とは、換言すれば憲法と

向かい合っていないということにほかならないのです。

つまり、他者としての憲法とはすこぶる窮屈な存在なのですね。