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近代合理主義 その2

また、ハイデガーは、この古代ギリシアこそ

「存在」を思考していた時代だと説きました。

それはプラトン(前400ころのひと)より前の時代です。

そして『存在と時間』の著者は、

その語、思考が停止したと語ります。それが中世です。

 中世という時代は、暗黒の時代とよばれています。

キリスト教という一神教が支配し、王政が確立、

専制政治の真っただ中です。

絶対主義的封建制といってもいいですね。

ですから、人びとは、キリスト教的価値観のもと、

思考することすらしなくなり、

そのつらさを教会にもとめていました。

しかし、権力というものは蕩尽するもので、

けっきょく、この暗黒の時代も終焉をむかえます。

 

 それが近代です。ようやく人びとに

ふたたびの自由がおとずれ、ものを考える、

というごくあたりまえのことが日常にやってきたのです。

「われおもうゆえにわれあり(コギト・エルゴ・スム)」と

デカルトが高らかにうたったのもこの時代です。

人びとは、キリスト教からの解放を手に入れ、

その価値観、思考停止からも解放され、

そこで理性を作動させます。

その理性的なもののとらえかたを「合理」といい、

この時代を近代合理主義の時代とよんでいます。

そして近代合理主義の産物こそ「科学」でした。

科学は普遍性を要求します。

普遍性とは、いついかなるときでも

それが妥当しなくてはなりません。

いつでもおんなじ結果を求めます。

これを普遍性といいますね。

例外なく再現性のあることが普遍性です。

そのためには、わからないことは除外するという

アクロバシィな方法論をとりました。

だから霊魂の存在などは、

科学にカテゴライズされていないのです。

科学はこの先、しだいにどんどん対象をちいさなものに

フォーカスしてゆきます。分子から素粒子、

ニュートリノといった具合に。

このような研究方法を「要素還元論」とよんでいます。

「要素還元論」は科学の方向性として重要なのですが、

それに反して、

いままで扱ってこなかった領域も

仲間にいれて研究しようという試みも起きています。

こういう科学を「マルチサイエンス」と呼びます。

ここ、大事なところです。