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再出仕

藤原長子の日記『讃岐典侍日記』の下巻は、

堀川天皇崩御のあと、

幼少鳥羽天皇のもとに再出仕する

事情を克明に描いたもので、

なかなか興味深い。

政局はあくまで堀川院の父、

白川院が実権を握っていたので、

そのあたりは孫の鳥羽帝に

委譲されてもあまりかわらない。鳥羽帝五歳である。

 

 白川院は、周知のとおりの豪腕で、

なにしろ子供が五十人いたらしい。

そのうちのひとりが、平清盛。

ま、これはうわさ。でも、

清盛が天皇家の血筋を引いているからこそ、

武士でありながら征夷大将軍でなく太政大臣の称号を得、

貴族的な生活にひたった、という史実もうなずけるのだ。

 

 ところで『讃岐典侍日記』上巻は、

堀川天皇看取りの記であり、

天皇とはすこぶる親密であったことがうかがわれる。

その看病の甲斐なく、堀川天皇は、

二十八歳という若さでこの世を去る。

彼女は、崩御の後、実家でしずかに喪に服していた。

しかしながら、幼少の鳥羽が帝になってしまったゆえ、

まだお付の女房の身分が整わず、白川院から、

けっきょく食事係として長子に再出仕の命がくだる。

下巻では、彼女は出家をまずかんがえるものの、

悩みぬいた末の再出仕を決する。

その苦悩のおりに、再出仕の先輩である周防の内侍、

平伸子の歌をおもいだすくだりがある。

 

・天の川おなじ流れと聞きながらわたらんことはなほぞかなしき

 

 後冷泉院が崩御し、

後、弟の後三条院に再出仕せよとの

院宣を白川からうけたときの歌である。

平伸子は有名な歌人なので、

この歌はすでに流布されていたのだろう。

道具立ては「天の川」。

この歌の中心素材である。

その中心語を飾りつけているのが縁語。

「流れ」と「わたら」である。

中心語に関連のある語を配して歌を飾り立てる

レトリックを縁語という。

 

 ちなみに、縁語という規定は

どこの参考書もあいまいである。

歌の中心素材を飾り立てる語を配し、

その語が掛詞やメタファ(暗喩)のしかけをもつもの、

わたしはそう理解しているが、

こんな規定はどこにも明記されていない。

 

 だから、右の歌で縁語を指摘せよ、

という課題があるなら、

「天の川」に対する「流れ」「わたら」と答えるべきだろうに、

通常の正解は「天の川」「流れ」「わたら」と列挙するのに

とどまる。並べて指摘するものではないはずだ。

なんかわかってないね。

 

 はなしをもとにもどすが、

この「天の川」はもちろん「天皇家」、

「流れ」は、兄弟ゆえ「血脈・血筋」、

「わたら」は再出仕をふくんでおり、

つまりメタファとなっている。

このへんのしかけは、技巧的で、古今集的なおもむきをもつ。

 

 このように、古代の歌人は縁語を自在に使い、

歌にひろがりを持たせたのである。

 

 ちなみに、長子は堀川帝の思い出残る

宮中に再出仕し心を痛めるのだが、

しだいに幼帝を前に愛情もふつふつわいてくるのであった。