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大和三山伝説

 学生時代、文学青年(きどり)だった私は、

友人と奈良旅行を企画する。

大学時代は夢もあったし、

未来もあった。

なんて書くととてもアンニュイになってしまうなあ。

 

なんせ、文学青年「もどき」だったから、

どこにどう旅行すればいいか、

皆目見当がつかない。

で、万葉集の講義のあと、

おしっこ我慢して身震いしている教授つかまえ質問。

「もどき」は他人のことなどかまわない。

と、教授は「それなら甘樫丘に行きなさい」と

シンプルかつクリアカットにご教授くださり、

とっとと退場されていった。そりゃそうだ。

生理的欲求は五段階ある欲求の最低限のものであることは

マズロー先生の言及されているところ、

教え子にかまってなんかいられない。

 

甘樫丘。明日香村大宇豊浦にある、

百四十八メートルのちいさな丘である。

が、ここからの展望は、

上代のたくましい繁殖能力を開花させた

奈良の地を見渡すのに恰好の場所であった。

丘にのぼると大和三山が見渡せる。

 

香具山、畝傍山、耳成(梨)山。

こんもりと盛りあがったちいさな山々で、

上代では妻争いをめぐる象徴的な存在であった。

 

・香具山は畝傍ををしと耳梨とあひ争ひき

神代よりかくにあるらし古も

しかにあれこそ

うつせみも妻を争ふらしき    (『万葉集』巻一 十三番)

 

中大兄皇子の歌。

香具山は畝傍山をいとしいと耳梨山と争った。

神代からこんなものなのだろう、

昔もそうであったから、

今の世の人も妻をとりあって争うらしいよ。

皇子が弟の大海人王子と額田王を奪い合ったという

事情をふまえて詠んだとされている。

いつの時代も、美しい(あるいは、そうでなくても)妻の

取り合いはあるものだ。

 

じっさい、額田王という女性は、

このふたりの皇子と結婚したとされている。

されている、というのは、

じつのところははっきりわかっていないのだ。

このへんの事情に関しては紙数の都合上、

省略するが、皇子の歌を、

この三人に限定してみれば、

とうぜん「香具山」が皇子、「畝傍」が額田、

「耳梨」が大海人皇子のメタファである。

 

小学館の「日本古典文学全集」の解説でもそうある。

ところが、國學院の桜井満教授は、

こう反論する。「畝傍を愛(を)し」ではなく、

「畝傍雄雄し」ではないか、と。

 

え。そうすると、香具山は畝傍山を男らしいと、

耳梨山と争った。ということになるではないか。

男女が逆転するのだ。桜井先生はさらに、

現地に行ってみれば、

なんと香具山の女性的なこと、

畝傍山の雄雄しいこと、とおっしゃる。

「もどき」青年だって、このくらいの知識で

行きましたよ、奈良。そう。わたしが甘樫丘に立ってみれば、

たしかに畝傍山はどの山より雄大だ。

ま、女性のほうが雄大だということもないわけではないが。

うーん、いったいどっちが正しいのか。

そもそも解釈が二分する歌なんて名歌なのか、

男と女が入れ替わったところで、

妻争いの伝説がくつがえされることはないし。

じゃあ、どっちつかずでほうっておきますか、

という具合で現在も軍配があがらないのだ。

私は、桜井説を推すが、

その先生もすでに亡くなっている。