「出る杭は打たれる」
このことわざは英語にもあるらしく
「The nail that sticks out gets hammered down」
というのだそうだ。目立つと邪魔されるのような
意味らしい。
しかし、農耕民族たる我われは、
「みんなといっしょ」という発想は拭いきれない。
田植えでもひとより遅いと怒られるし、
ひとより早いと、これまた難癖を言われる。
みんと同調する、これが最善の方策である。
現代社会では、みなが農耕民族であることを
忘却しているが、クリスマスにケーキを買って
食べるが、なぜ、クリスマスにケーキを食べるのかと
問えば、多くのひとが「クリスマスだから」と答えるだろう。
これこそが農耕民族たる回答である。
キリストの誕生日だからと答えることは
稀有だろう。
外来文化を国風にすることが
日本人のアイデンティティのひとつのあらわれである。
だから、小学校から高校にいたるまで、
けっして表面的には言われていないが、
ゆるい同町圧力のなか、「出る杭はうたれるよ」と
言われ続けていたのではないだろうか。
そもそも農耕性を遺伝子のなかに
組み込まれた国民は、議論が下手である。
なぜなら、コトバにしなくてもみな
なんとなく通じるからである。
そのかわりおしゃべりは大好きである。
狩猟民族たる欧米人は、まず、
じぶんの主張を文頭にもってこないと
気がすまない。
ま、そんふうに「目立つなよ」と
第三者のみえない視線によって
われわれは育ってきた。
これを哲学的には第三者の審級という。
この第三者審級は、われわれのなかに
骨肉化され、それが当たり前になっているのに、
大学受験ではじめて、自己推薦しなさいと
問われる。
18年間、そんな訓練したことのないものに、
自己アピールできるのだろうか。
バイオリンをもったことのないひとに、
さ、弾いてごらん、と強要するのと類比的ではないか。
また、大学では、
ボランティア活動を、推薦理由に書けと、
指定している。
ボランティアは無償奉仕なのに、それを
みずからの利益のために書け、という矛盾を
無自覚に言う大学にもあきれたものだと
おもうのだが。
このあいだ、生徒が授業やすみます、
なぜと訊くと、はい、ボランティアに出かけて、
それを推薦書に書いてもらうためです、
と、臆面もなく言っているのにも
おどろいた。
就職試験も同様である。
リクルートスーツとか
みなおんなじコスチュームデザイン。
おんなじ靴におんなじ鞄。
で、企業で個性を求めている。
なんで?
べつに外見が個性につながるとは
早計に言うわけではないが、
こんな矛盾がまかり通っているのは事実である。
だから、わたしは生徒さんに
こう言っている。
「わたしたちは、子どものころから目立つな、
出る杭は打たれると、直接ではなないが、
そんなうふうな育てられ方をしてきました。
そんなわたしですから、きゅうに
自己推薦しろと言われても、かんたんには
できません。そういうわたしがわたしです」
みたいに言ったら、というと、
異口同音、「そんなこと言えば落ちますよ」という。
「君たちはうかることはわからないけれど
落ちることはわかっているんだね」
と、いつもわたしは言っている。