Menu

お得なアプリでクーポンGet!

店舗案内

閉塞 その4

 日本は学歴社会です。いや、

学歴ではなくやはりそのひとの人格だという

時代になってきているというひともいます。

能力主義、いわゆる「メリトクラシー」です。

そうかもしれません、が、先生って

どこの大学出ているのだろう、

とおもったことありませんか。

あるでしょう。それって学歴社会が根強く存在している証拠です。

 

 じつは、その根っこに価値観の一元化があるのです。

二十世紀、ミシェル・フーコーというフランスの哲学者は、

近代合理主義に獲得した理性について言及します。

つまり、フーコーは理性を重視するばかりに

理性が思い上がっていると論じます。

理性の思い上がりは、けっきょく価値観の一元化を生むのだと。

 

 金持ちはいいひと、貧乏人はだめ。

頭のいいひとはいいひと、悪いひとはだめ。

健康なひとはいいひと、病人はだめ。

と、すべての価値観が一元化されているといいます。

ほんとは、金持ちでも幸せとはかぎりません。

病気のひとでも楽しく生きているひとはいます。

価値観は多元化するべきなのです。

しかし、社会はそうは動きません。

みんないっしょ。物ごとの一元化は、

とりもなおさず社会にどこからともなく

監視されていると同義だ、

とフーコーは語ります。社会に支配されているといってもいいですね。

 

パノプティコンという刑務所があります。

全展望監視システムのことです。

牢屋はすべて円形状になっており、

監視塔はその円形の中央の高い位置にあります。

宇宙ステイションのような恰好です。

それは、ようするに、

監視されているけれども囚人からは監視人がみえない、

という仕組みになっているのです。

これがフーコーの言う世の中だというのです。

 

 わたしたちは、どこからともなく

社会というものから監視され、

みなおんなじかんがえ、

生き方をせざるを得ない。

このかんがえを「監獄理論」とフーコーは言います。

 

もちろん、フーコーの時代に

学歴社会などは存在しません。

が、いまの我われは監獄理論の

真っただ中に生きているといってもまちがいではないのです。

それは、ある意味の思考停止です。

みんなとおんなじ生き方をすればいいというのですから。

しかし、前述したとおり、

その思考停止が悪いとはいいません。

その中で、充足した生活を送ることが

できるならなにももんだいはないからです。

 

だから、逆説的にかんがえれば、

なにもかんがえないほうが幸せの

階段は目の前にあるかもしれないのです。

主意主義的生活ではなく、

主知主義的に生きる、

それを閉塞と認識しなければ、ということです。