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悲しいほど美しく

 たしかに平仮名は女性の

文字として発達したことは、

まちがいのない歴史である。

 

「弟がこちらに勤めさせていただいて

おりますのですってね、

お世話様ですわ」

 

その歴史に加え、

『雪国』冒頭ちかくのこの「葉子」のせりふをみれば、

女性特有のいいまわしが存在するという事情も了解できる。

 

 そして、じつは、ここが日本語の、

世界に類をみない急所なのである。

 

「ですってね」「ですわ」といった表現の存在は、

つまり、「あきらかな女性を示す

用法の国語を有する」無二の国だということである。

 

欧米の文脈には、

このような女性特有の言語がない。

「あら、いいわよ」と、

いとも簡単に言ってのける日本人に対し、

欧米では「イッツ・オーケー」。

 

これじゃあ、男か女かわからない。

オバマ候補とクリントン候補の演説を

起稿したばあい、原稿からは、

どっちがオバマかクリントンか一目わからないわけだ。

ま、どちらもお互いを罵倒しているところは

共通しているだろうが。

 

つまり、欧米の文脈は、

男性中心、というより、

むしろ男性言語を借用して女性が語っているという

事情である。そして、いま、女性として女性言語を

奪回しようといううごきがあるのだが、

はたしてどうやって彼女らは女性言語を確立するのか、

このへんは、至難の「あらわざ」なのだ。

なぜなら、女性言語の確立のための、

考量もメソドもすべて男性言語を使用しなくてはならないからだ。

議員年金廃絶を当該の議員が

閣議決定するよりむつかしいことは容易に察しがつく。

 

 その点、わが国は、

なんかのんびりしているようにおもう。

無反省的といってもよい。

いちいち男性言語、女性言語と使いわけをせずに、

むしろ、そのへんを脳のブラックボックスに

しまいこんで生活( 歌作を含む )をしてきたきらいがある。

 

 ・寝ぬる夜の寝覚めの夢にならひてぞ

伏見の里を今朝は起きける

 

 ・その夜よりわが身の上は知られねば

すずろにあらぬ旅寝をぞする

 

 和泉式部日記のくだり。

「あなたとともに寝た夜以来の、

寝覚めがちな夢になれてしまって、

名も伏見なのに、今朝は伏さずに起きてしまいました」

「あなたと、はじめてお逢いしたその夜から、

私の身の上がどうなるかわからなくなってしまいましたので、

おもいがけない外泊をしてしまいました」

 

 最初の歌が「宮」、敦道親王の歌、

次が「式部」。一読しただけで、どちらが男歌か、

女歌か、識別できないのではないか。

つまり、「歌というものは、性化を希釈させて、

より中性的にしたてたもの」なのではないか、

わたしは、そうおもう。

 

 川端が「葉子」のせりふに

「悲しいほど美しい声」と添えたことをおもえば、

女性歌人( ま、男性でも )は、とくにわが国の美点をおおいに活用して、

その「美しい声」をみずからの作品に

投影してもいいんじゃないか、

わたしは、そうもおもうのだ。

 

「駅長さあん」

 こんな美しい「声」を。